箱根 仙石原

 

 ロマンスカーで箱根にやってきました。

 箱根には数回来たことがありますが、この季節に行くのは初めてです。旅の目的は彫刻の森美術館と強羅公園。日帰りなので強羅周辺を拠点にしました。そして、予定にはなかったのですが、旅行雑誌で見つけた仙石原のすすきの原野が見頃だということで、急遽登山バスに乗り込み、仙石高原を目指します。行き当たりばったりは旅につきものですよね。

 30分ほど山をのんのんと登るバスに揺られ、9:40頃に仙石高原のバス停に到着しました。

 すすきの原野は、すぐ後ろです。

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 ツアーの団体もいたりして、比較的早い時間帯だったにもかかわらず、すすきの間の一本道は行列になっていました。お散歩中のわんちゃんも何匹かいて、気持ちよさそうです。

 

 さあこの風景をどんなふうに俳句に残そう。辺りを見渡しながら、ゆっくり進んでいきます。ちなみに、私の俳句づくりグッツはこちら。

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角川ソフィア文庫「今はじめる人のための俳句歳時記」

・同じく角川ソフィア文庫の「おくのほそ道」旅先で読むために。

まっぷる箱根

・本屋で買ったノート・フリクションボールペン

 

 ペンにノート、歳時記を片手に歩みを進めます。まずは、俳句を作るため、というよりも、何か面白いものはないかな、何か新しい発見はないかな、という視点で眺めてみました。私だけが見た風景が、私だけの俳句になるはず。

遠くをぼーっと眺めてみたり、反対に近くのすすきにピントを合わせるようにして見てみたり。そうすると、色んなものが見えてきました。

 

 たとえば、これ。

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 見づらいかもしれませんが、手前のすすきの穂先に、露が玉になってくっついてるのを見つけました。

 今は10:00頃だから、朝露が残ってるにしては遅すぎるかと思いましたが、地面が濡れていなかったので、雨粒がついているのではなさそうです。日に当たると控えめにきらりと光るのがかわいらしいです。

 これはいい!手元の歳時記を見ながら、試しに一句、作ってみます。

 

 朝露を穂に残してや糸芒

 

 記念すべき第一句目です!作り終えると達成感とともに、まだまだ作ってみたいと意欲が湧いてきます。

 

 すすきの原の一本道は片道20分ほどで折り返し地点に到着します。本当は15分くらいかな?俳句を考えたり写真を撮ったりしながら歩いていたので、もっと短いかもしれません。

 

 今度は、遠くから見てみることにします。

 湿地生花園を目指しながら、県道沿いを歩き、すすきのを眺めます。

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 少し暗く見えるでしょうか。ちょうど雲の切れ間から太陽が除いて、すすきの原野一面が輝いています。さっきまであの中にいたのに、ちょっと引いて見ると違う景色が見えるのも面白いです。

 行きのロマンスカーで仙石原について調べてみたのですが、この地域は江戸時代まで「千石原村」という地名だったそうです。昔の人はこの広大な原野を見て、ここを開墾すれば千石の穀物が獲れるだろうと思っていたことが由来だそうですが、実際は火山灰土壌と湿地という悪条件だったため、夢のまた夢に終わってしまったそうで。この地域の人たちは屋根葺き用のカヤ、すなわちススキですね。これを近隣に出荷することを生業としていたそうです。

 ここでは2句、作ることができました。

 

 千石の実りを見たり芒原

 

 穂波から頭がのぞく芒原

 

 今日は計3句作ることができました。いい傾向です!しかし、俳句を作るのは楽しいのですが、感性を研ぎ澄ます必要があるので結構エネルギーを消耗しますね。この後は強羅まで戻り、美味しいものを食べて、ゆっくり温泉に浸かって帰ろうと思います。

 

初めの一歩にしては大成功の旅でした。次はどこに行こうかな。

 

月日は百代の過客にして

 

 はじめまして。凪といいます。

 数多くのブログの中から見つけてくださり、ありがとうございます。

 機械音痴&三日坊主の私がブログを開設したのには訳があります。

 

 私は中学校で国語を教えています。秋も深まったこれくらいの時期は、だいたい古典のことが多いです。中でも、今回の単元は「おくのほそ道」でした。授業をする身としては、教材のことをよく知っておきたかったので、角川のビギナークラシックスの「おくのほそ道」を読んで勉強をはじめました。というのも、お恥ずかしながら私が持っている知識は、作者・松尾芭蕉の名前と、旅しながら俳句書いたのねということと、私が中学生のときに見ていた「ギャグマンガ日和」の松尾芭蕉だけでした......

 

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 これです。

 

 知っている人はきっと同世代ですね。

 

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 私は弟子の曾良にビンタされている松尾芭蕉しか知らなかったので、本を読み進めていきますと、今まで知らなかった松尾芭蕉の人物像が浮かび上がってきました。 

 特に、彼の人生観や人柄が見られたのはこの記事のタイトルから始まる冒頭文です。

 

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

 

 時は永遠の旅人である。月も日もそして年も、始まりと終わりを繰り返しながら、歩み続けて止むことはない。したがって、時が歩みを刻む人生は、旅そのものであるといえる。(中略)昔の有名な文人にも、旅の中で一生を終えた人がたくさんいる。

(角川ソフィア文庫 「おくのほそ道」)より

 

 歩み続けることこそが人生であるという芭蕉の考え方は新鮮で、自らが敬慕する偉人の後を追い、それを実行できる芭蕉に純粋な憧れを抱きました。股引の破れを直し、笠の紐を付け替え脚にお灸を据えて、ついには住んでいた家さえも人に譲り渡し、人生の旅に出る芭蕉。私が最も心を動かされたのは、「俳聖」と称された彼が残した、この一句です。

 

 草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

 

 草の戸は、芭蕉が住んでいた庵です。私が住んでいた粗末な家も、雛人形が飾られるような華やかな家に代わる。大意はこんなところです。

 移り行く時の儚さや、この庵で安らかに過ごしていく新しい家族に思いを馳せ、旅立ちの前にこの句を柱に掛け置くときの芭蕉の慈悲深い表情が浮かんできます。

 なんとなく、教科書に載っている歴史上の人物は「凄い人だなあ」というのが先行して共感って言うのでしょうか、そういうのがあんまりできなかったんです。凄い人は凄いよね〜って感じで。でも、この句からイメージする芭蕉は、もちろん凄い人なのは変わりないのですが、なんか、近所にいるおっちゃんみたいで、あたたかい人だなあって思ったんです。儚く散った武人を思い涙を流したり、道中で俳句指導を懇願され長時間かけて教えてあげたり...そんな人がつくる俳句だからでしょうか。とても心を動かされました。

 

 俳句っていいな。つくってみたいな。

 

 「おくのほそ道」を読みながら、わくわくしている自分がいました。人生は旅である、そんな立派なことは考えられないけれど、私も、私が見たこと・感じたことを俳句に残してみたいと思ったんです。

 そして、本屋に駆け込み、歳時記とノートを買い揃え、ブログを開設して...今に至ります。

 行きたい場所へ訪れたとき、身の回りの何かに心を動かされたとき、その一瞬の心の動きを切り取って俳句にしてみようと思います。お見苦しいところもあるかと思いますが、たまにご覧いただければ嬉しいです。

 

それでは、今日からゆるっとはじめてみます!最後までお読みいただき、ありがとうございました。